自画像制作で「過ち」払拭。

 この文章は「読売新聞」に掲載させていただいたコラムから転載したものです。限られた字数ですから、「自分という人間の存在証明」という題材名は使っていません。

 3年の最後の美術の授業は毎年、卒業制作として「自画像」を描いている。これは単に表面上を描くのではなく、自分を見つめ、内面を描こうというのが狙いだ。
 その授業でB男のことが強く印象に残っている。野球部で活躍していた彼は、美術の授業はどちらかというと消極的で、絵画表現でも苦手意識を持っていた。
 しかし、この最後の授業では、いち早く主題が決まったようで、珍しく私に質問してきた。ところがその内容は「自画像の背景にたばこのパッケージを描いてもいいですか?」というものだった。意図を聞くと、こう答えた。「ほら、2年生の時、事件起こしちゃったでしょ」
 それは、野球部の仲間との喫煙行為を指していた。当時のB男は一度道から外れかかったが、顧問教師の熱い思いに触れたこともあり、その後また野球に打ち込むようになった。
 B男は美術の授業中、自分の顔を鏡で見ながら、何度も何度も手を加えていた。描いた絵を離れて見ては、また描き直す。そんな感じだった。そしてできあがった作品。背景には薄汚れたユニホームとたばこが描かれていた。その暗い背景と対照的に、自画像の表情は笑顔で、しっかりとこちらを向いている。とても明るい色で、見ている私が元気をもらえるような絵となった。
 彼自身「最高の作品ができました!」と言い切った。絵を描くことを通して、B男は心の中にあった引っかかりを払拭(ふっしょく)し、これからの希望や夢を絵のなかの表情に込めたのだ。
 中学校の授業の中で、自己をじっくり見つめる機会は意外と少ない。自分自身をしっかり見つめる機会をつくることの大切さを改めて、B男から教えてもらった。「美術を通した人間教育」と言われるが、まさにその通りだと感じた。

読売新聞「子どもの心」2006年6月24日
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