授業について

「描きたいから描く」生徒がそう思う授業にしたい。

 「描きたいから描く」生徒がそう思う授業にしたい。理想ではあるが。
 これまで2年生で鉛筆デッサンに取り組んできた。新卒の頃は、その題材の位置づけは、絵画表現の基礎を身につけるというものだった。(それも今は基本的には変わらないが)具体的には最初は「上靴を描く」という授業だった。

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一生役立つお得な知識

1年生の授業で「色彩」の学習をする。
 最初は鑑賞から。自然界を含め、身の回りにあるモノを取り上げ(美術がいかに生活に密着したものであるかも感じ取らせたい)色彩をまとめる法則性を発見してもらうことからはじめる。

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経験者の落とし穴

 十数年ほど前、私一人で美術の授業を全学級担当できなくて、他の先生に数クラス担当していただいたことがあります。新卒数年目の英語の先生ですが、彼女は特に美術の指導がしたいとか、そのような理由ではありません。仕方なくです。ある日、私は衝撃を受けました。彼女に専門の私が負けたと思いました。

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教室から出た美術

 私の学校は生徒の絵も複製画も多い。来客がこのことを話題にしてくれることもある。放課後や休み時間、たまに生徒が作品を見ていたりする。うれしいものだ。声をかけて話をすることもある。
 授業で鑑賞をしている時、「その絵見たことある!」という声があがるときがある。生徒は知っているだけでも親しみがわく。私たちにも、そのような経験があるのではないだろうか。

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制作の進め方の個性

 私たちは教師は、授業の中で「作品」はもちろん、完成までの「過程」を大事にしている。その「過程」で、子どもの中に何を育んでいくのかということが、非常に重要になってくる。
表現の進め方にも「個性」があるという考え方があることを、10年前に知った。

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題材設定の理由

 研究会等で、「題材観」を抜きにしてしまった協議は内容が浅くなってしまいがちだ。
 例えば似たような題材であっても、この題材観が違えば、そこから導き出されるねらいも評価も指導方法も違ってくる。その題材に取り組むことで、子どもにどんな力や心を育もとしたのかということである。

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題材との出会い

 「題材との出会い」とは、いわゆる題材の導入場面のことです。
教師が子供にどう題材を提示したか「子供の心をどうゆり動かしたか」が特に重要だと思います。
この「題材との出会い」が子どの表現意欲を大きく左右します。

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相互評価

 授業の中で、子どもどうしが学びあう雰囲気になっていくと、やはり互いに高まっていく。
そこで注目したいのが「制作過程での相互評価」。
以下の文で「相互評価」としているのは、「制作過程での」相互評価のことです。

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人間教育としての美術教育

中学校の授業の中で、自己をじっくり見つめる機会は意外と少ない。自分自身をしっかり見つめる機会をつくることの大切さを改めて、B男から教えてもらった。「美術を通した人間教育」と言われるが、まさにその通りだと感じた。

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子どもの学びを考える

 昔の美術の研究実践交流は、指導者がいわゆる優れた作品をピックアップしてきて、先生方に披露。それで、作品がよかったりすると、どう指導されたんですかなんて話になって、けっこう「条件付」の仕方に話題が集中したりしがちでした。つまり、そのような作品に仕向けていくための方法を学び合うと言ったらよいでしょうか。

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つくり、つくりかえる。

 美術の授業というと計画にしたがって、目標を持って作品を完成させていくというイメージがあるように思う。けれど、美術の活動はそれだけではない。
 モダンテクニックなども、そうしたものの中に含まれるだろうが、それを作品の補助として使う方法が一般的ではないだろうか。小さな子どもが無心に色や形や材料とたわむれ、遊ぶ。それを中学生がやると意味が深くなってくる。

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