描きたいから描く」生徒がそう思う授業にしたい。

 「描きたいから描く」生徒がそう思う授業にしたい。理想ではあるが。
 これまで2年生で鉛筆デッサンに取り組んできた。新卒の頃は、その題材の位置づけは、絵画表現の基礎を身につけるというものだった。(それも今は基本的には変わらないが)具体的には最初は「上靴を描く」という授業だった。
 大学や技法書、指導書で学んだことをたくさん教えた。そして、どの生徒にも達成感を味わわせたいと思って取り組んだ。鉛筆の使い方がどうだ、形がどうだ、明暗、陰影がどうだ、大きさがどうだ、まず、とにかく、それが最初だった。教師が的確な技法指導をし、課題意識を持たせ、きめ細かく指導すれば、生徒の表現力は高まるし、そのことで生徒も達成感を持ち、さらに高まっていくであろうとだけ考えていた。
 地域の研究会では、私の指導したデッサンが評価され、うれしかった。そのころの研究発表はいわゆる表現力の高い作品だけを持っていった。質の高い作品を描かせることこそが教師の力量と考えていた。様々なコンクールにも出品し、それなりの成果もあった。
 翌年、ある2年生から、部活動ではいている靴を描きたいということを言われた。条件が違うし、とまどった。しかし強い要望だったのでOKを出した。するとその部活動の生徒のほとんどが、そのシューズを描きだした。これまでにないほど意欲的に描いていた。
 次の年、転勤。放課後、他の先生から「山崎先生、美術で生徒残しているの?」と聞かれた。そんなこととは知らなかったので、その教室に行った。バスケット部の生徒が5人でデッサンをしていた。びっくりした。そして本当に思った。彼女たちは「デッサンを通して、バスケットをしているんだ!」「この絵は自分が頑張っていることの証なんだ」
 その中に小学校から絵が嫌いと言う生徒がいた。シューズの汚れやマークまでこだわって描いていた。彼女がこんなに描くとは!驚いた。いわゆる巧みな表現ではないが、迫力を感じる強い作品だった。
 感想にこう描いてきた。「私は、絵が嫌いでした。でも、このデッサンは本当に夢中になって描けました。絵を描くのが好きになりました。」
 そのころ漠然と美術の授業を通して「自分の生き方を考える」ような授業をしたいと思ていた。何となく何か自分なりにつかめた気がした。自分の授業に対する意識が明らかに変わった。「描かせる絵」から「描く絵」への転換だ。
 当たり前のことだが、「表現は子どものもの」なのだ。そして生徒自身が絵を描く意味を見いだし、その題材に取り組む価値が見えれば、自ずと意欲的になり、表現も高まっていくということも実感として、わかった。
  
 結果として、それまで指導してきた作品よりは、表現力もはるかに高まった私自身が驚くような作品も生まれてきた。
 それにも増して大きく変わったのは生徒の内面であろう。最初の頃の指導では、作品を描き終えての感想を書いてもらうと、当然ながら技法面のことしか描かれていなかった。今は、自分が描いたモチーフを選んだ理由や、そのモノへの思いなどが、書かれるようになってきた。制作を通しての生徒との会話の内容も変わってきた。今までは技法指導のみであった。
 しかし、自分が本当に描きたいモノが見つからない生徒もいる。そんな時は「そこらへんにあるモノを、とにかくそっくりに描いてみたいという考えでもいいんだよ。」と言ってはいるが。
 授業の中で「自分にも描けそうだ」という見通しを持たせるための、事前の練習やラフスケッチなどもしているので、言えるわけだが。
 さて、このデッサンの授業は、今後、どうしていくべきなのか。答えはまだ見つからない。心と技の両面から考えていかなければならないと思っている。確かに集中して取り組んでいるのだが。
 生徒の作品が「生きる証」となるような、生徒自身が思いを込めて、「描きたい!」と思うような、そんな授業をしていきたい。
 自分の娘が小学校3年生のとき、自分が生まれて初めて釣り上げた。もう、うれしくて、うれしくてたまらない。おおはしゃぎであった。それから1時間ほど描けてスケッチをはじめた。その集中して描いている様子や完成したスケッチを見て本当に驚いた。教えた訳でもないのになー。(ただし、小さな頃から絵を描く環境はととのえていた。いつでも描きたいときに画材を取り出せる環境。今回もスケッチブックを持参していた。私は風景をスケッチしていた。)今もその魚のスケッチを見るとその時の釣った感動がよみがえってくる。
また、同時期に描いた蛇の抜け殻の絵、これは夏休みの宿題の挿絵である。やっと見つけた蛇の抜け殻である。これは思い出して描いているので記号化されている。同じ子どもが描いたとは思えないほど。しかし、その時の場の雰囲気がよく出ている。描きながら、その時のうれしい気持ちをまた話してくれた。娘を知らない他の人が、この2枚の絵を見て、どう思うか。父である私には、どちらも大事な表現だ。親バカか?