作品だけではわからない子どもの学び

 
 昔の美術の研究実践交流は、指導者がいわゆる優れた作品をピックアップしてきて、先生方に披露。それで、作品がよかったりすると、「どう指導されたんですか」なんて話になって(私もそうでしたが)、けっこう「条件付」の仕方に話題が集中したりしがちでした。つまり、そのような作品に仕向けていくための方法を学び合うと言ったらよいでしょうか。
 当時まありなっかたのが、子どもの学びの過程についての話し合いです。どんな作品をつくらせるか、ということより、そこで何を子どもたちに学ばせるのかということこそ大事なのに。
 08年に開催する北広島市での全道造形教育研究大会では、そこを大事にしたいと思います。
 さて、私の授業での、子どもの学びを…

 もう上の写真でご覧の通り、どの色にしようかを検討しているところです。どの色にしようか選択しているわけです。さらに子どもの活動の様子や表情に注目していると、子どもの心や頭の中で何が起きているのか、そこが見えてきます(言い切りは少し危険ですが…)。生徒からいろいろと聴いてみるのも大事ですね。
(以前の私は、生徒の表現意図も聞かずに、作品を見て、あーだ、こーだ、と言っていました)
 私は研究授業のとき、このような視点で見ています。教師と生徒の会話にも注目します。勉強になります。

↑生徒のメモ「今日は頭を使ってできた。集中するほど体は疲れたけれど、時間がすごく短く感じた」
「今日はいつもの美術の3倍集中できた。少しゆっくりやりすぎたので、次回は模様をもっとつけたいと思う」
(山崎…「頭を使う」という言葉は山崎がよく言う言葉。この生徒は「離れて見てごらん」で模様を増やすことを思いついた。)

↑「自分が考えているのと同じように進んだ。完成が楽しみ」
「統一と変化に気をつけることもできた。うまくいった。次は、色塗りを頑張る。」
(山崎…「自分の考えているのと同じように進んだ」という言葉にあるように、確かな見通しを持って制作しています。
 アイディアスケッチにかなりの時間を費やしていく中で確かなイメージがわいてきたからでしょう。どの部分をさして「統一と変化」を言っているのかは不明。ここを聞けば、指導改善につながりそう)

↑「わくを描く時、全体のバランスに気をつけてかくのが難しかった。あっというまに授業が終わった」
「したがき完成した!全体のバランスについて考えた描くのが大変だった」
(山崎…この授業ではレタリングで学習した「字配り」の内容をつなげた。どんなに部分が素晴らしくても…。バランスが大事、離れてみるとどうすればよいかがわかってくると指導してきました。枠を決める段階から全体のバランスを考えていたのはうれしい。今回わくの形は自分の描く物にあわせて決めるように指導し、子どもが考える内容を増やしたのです。)

↑「前に友だちの作品を見たのが役に立った」
「前にはまだまだ時間がかかると思ったけれど下がきが完成して良かった」
(山崎…この生徒の描いた最初のしたがきから見るとものすごく形がよくなりました。授業の途中で3分程時間をとり、教室内の級友の作品を見る時間をつくっています。この生徒はその時間が刺激になったようです。
 なお、きれいな曲線を引こうと努力していたので(きれいな曲線をかきたいと思ってもらえるような導入をしました)、その方法を教えたら、その高価に驚いていました。下がきが完成してよかったという以外の感想が出てくるような授業にしたいです。)
この分析が全て正しいわけではないでしょうが、子どもの学びを見てとることは大事なことでしょう。
実は、授業の中で、実物投影機を使って、全体に向かって、作品を参考にしてもらうのではなく、その学びの内容(頭や心をどう使っているか)を紹介するようにしています。時間の関係でそんなに出来ないですが…)
 クロッキーの時、一人の生徒を連続して紹介したことがあります。描いている時どんなふうに頭を使ったのかを私がインタビューしながら分析していくというものです、もちろんその生徒が描いている様子(目と手の動きや表情)も紹介します。いわゆる絵が下手であると思われている生徒が変わっていく訳ですから、盛りあがりました。
《参考》
 北海道の空知では長い歴史を持った「作品を語る会」というのがありまして、ここではもうずっと以前から一クラス全員の作品を持ってくるのが当たり前になっていました。これでこそ、本質が見えてきます。
 数学で80点以上の答案用紙を持ってきて、それを分析してもなあ。そりゃ研究にならないなあ。
以前ある数学の先生が私に0点の答案を2枚見せてくれました。よく見るとその違いがわかりました。一方の答案を見ると間違いのプロセスがわかりました。その先生は消しゴムで消えて見えなくなった部分まで見ていました。結果だけではわからないコトが多いですね。
美術教育のことだけ考えていては駄目でしょう。他教科の先生との交流も非常に大事だと思っています。




表現を子どもの側から考えてみる


 これは1年生が描いた絵文字です。(クリックすると拡大表示されます。)
 これを見てどう思われるでしょうか。以前の私なら完成した作品を見て、もうちょと工夫してもよいのじゃないかと思った程度かも知れません。
  さて、この作品、一度完成したかに見えました。しかし、これを描いている生徒はじっくり作品を離れて見ていました。気になったのであとで、作品を見てなるほどと思いました。
 この川の字の水色の中の灰色の線、これは実はすべて最初は黒だったのです。それを彼は上からすべて灰色(少し青を混ぜて)に塗り直したのです。大変根気のいる作業です。それでもあえて、それをやったのは、彼は作品の全体の色のバランスを見て、黒では強すぎると判断したのです。
 (追記)この外側の黒は川岸だったのだとあとで気がつきました。だから水色の周囲をすべて縁取りしていないんですね。この黒い縁取りを描いている時の生徒の感覚がわかる気がしました。単に水色を川の象徴として記号で描いているのではなかったのでしょう。

 この作品は最初回りに3つの丸はありませんでした。彼も手をとめて何か考えているようでした。彼も作品全体のバランスを考えて、このようなことをしたのでした。
 本人に聞いたところ「「石」という文字だけでは寂しい感じがして、この丸をつけたしました。」とのこと。納得!これも川の字同様、全体のバランスを考えています。
 これらの全体のバランスを考えて描いたり、つくったりするのは表現の中でも大事なことのひとつでしょう。授業中でしたが、この二人の学びについて解説しました。結果としての作品ではなく、学びの素晴らしさを紹介するということです。
 そして付け加えます。「自分の描いた作品を離れて見ると、次にすべきことが見えてくるんですよね。」と。これ、本当にいつも言っていることなのです。
 このように子どもの制作中の姿(目や手の動き、表情)や作品から、つまり表現を子どもの側から考えてみるということがとても大事なのではないかと思っています。
 若い頃の私は(今も気持ちは若いですけど)授業中に紹介する生徒作品は、教師が求めている作品へと誘導していくものでした。簡単に言うとこの作品を見習いなさいと言ったらよいでしょうか。
 私のこのような指導のあり方を変えたのは「自己教育力」というものでした。校内研究で他教科の先生にもまれて変わってきたのでした。
 

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