制作の進め方の個性…建て増し・建てこわし・図面通り

 私たちは教師は、授業の中で「作品」はもちろん、完成までの「過程」を大事にしている。その「過程」で、子どもの中に何を育んでいくのかということが、非常に重要になってくる。
 表現の進め方にも「個性」があるという考え方があることを、10年前に知った。
 
 それは、「泥棒美術学校」佐々木豊著(芸術新聞社)という本に書いてあった。以下、一部を引用したい。(*印は文章の途中を略したことを示す)

「制作方法分類帳(おえかきのしかたのいろいろ)」
 先年、京都芸大へ招かれて話をした折、絵の描き進め方に話題が転じ「はじめに決めた構図が最後まで変わらずに完成するんですか?」という僕の質問に、同席の石坂春生先生、「建てこわしはしないけれど、建て増しはする」うまい説明に僕は感心した。石坂氏を「建て増し派」とすれば、僕はさしずめ「建てこわし派」だ。はじめに決めた形や構図が途中で変わって、いつの間にか別荘になってしまう。僕の場合、図面通り出来上がる時は、かえってつまらない。図面通りと言ったが、「建て増し派」「建てこわし派」があれば、はじめに決めた構図で整然と描き進める「図面通り派」もあるはずだ。すぐに二、三の絵が思い浮かぶ。例えば藤田吉香氏。アングルなどの古典派の画家も、密なエスキースをもとに制作した。
そこで、ひとまず、
1 建てこわし派
2 建て増し派
3 図面通り派
と、描き進め方によって画家のタイプを俯瞰して、その特徴、方法の(絵の、ではない)長所短所をあげへつらうことができれば、君のためにも、いや何より乏しいわが才能に、何がしかの刺激になるのではないだろうか。

「建てこわし派」

 画面の上で探す行為が建てこわし派の特徴で、ピカソの「描くことは発見することだ」にもつながる。おおよそのプランで出発して、途中で消したり描き加えたり、位置をずらしたり、最後まで構図にこだわって仕事を進める。
 建てこわし派のよい点は、画面が制作途上、絶えず動いているために、活気あふれた絵になること。最初のイメージから飛躍があること。欠点は、壊すばかりで絵が予定通りに仕上がらぬこと。

「建て増し派」

 建て増し派をうらやましく思う点は、四畳半の台所、その隣にトイレを、という具合に、無限に建て増していけば、どんな大画面も可能だという点である。そして絵の中心がひとつだけでなく、幾つも画面に散らばり、その分だけ部分も充実し、近づいてみてもよし、離れてみても見応えする。建て増し派の雄、前田常作氏の諸作を思い出されよ。*さて、方法上の難点を挙げるとすれば、どうしても細部に注意が集中し、抹消主義におちいりやすく、全体を貫くダイナミックな構成力に欠けることであろうか。その点を前田常作氏は小さな積木を際限なく積み上げるようにして描く曼荼羅図を描く前田氏の絵は抹消に目がいきがちになるが、実は画面全体を貫く動きやリズムに呼応して構成され、描き進められているのだ。

「図面通り派」

図面通り派の長所は画面が明快であることだ。逡巡したり、色をこねくりまわしたりして濁らせたりはしないから当然だ。描く前に頭の中に完全な完成予想が出来上がっている。そして細密描写を得意とする。描くことイコール細分化といってもいい。途中でハプニングは起こらない。*小磯良平は肖像画を描くに当たって、下絵にある精密なデッサンを用意している。キャンバスに碁盤の目を引き、デッサンを正確に写して彩色している。このような方法は、油絵の古い時代には当たり前のことであった。印象派がそれを一掃ししたのだろう。そして、今でもおおかたの日本画はこの方法で描かれている。たいていの日本画家は、まず写生からはじめて、何枚のスケッチをもとに下絵を作る。本画は下絵を膨らませた改訂版といった趣きとなる場合が多い。ただ、図面通り派は 動きはあるものの、例えば人物を描いた場合、硬い感じを受けることがしばしばある。古典派時代の小磯良平が、そうだし*
図面通り派の人にとっては、描きだしてからも山あり谷あり、ハプニングすらあるのだろう。それがこちらに見えないだけなんでしょうな。
以上 佐々木豊著「泥棒美術学校」(芸術新潮社・1993年刊)より引用
 

子どもの制作過程を類型化して見るのは危険もあるが(個性も、発達段階も違う)、しかし佐々木氏の考え方を知り、これまでの指導はいつのまにか「図面通り派」よりだったのではないかと、思えた。
これが、きっかけとなり、指導観が自分の中で変わってきたし、生徒の表現過程に対する私のアプローチも変わってきた。自ずと表現の進め方に関して、画材についてもいろいろと考えるようになった。
 研究会の中で、この本を紹介してくださった石狩管内の伊藤光悦先生(2003年3月ご退職)には、とても感謝しています。ありがとうございました。
                         
                    2004年1月 山崎 正明