学びあう授業を理想に
〜互いに認め合い、励まし合い、高め合う

 授業の中で、子どもどうしが学びあう雰囲気になっていくと、やはり互いに高まっていく。
そこで注目したいのが「制作過程での相互評価」。
以下の文で「相互評価」としているのは、「制作過程での」相互評価のことです。
 教育界で自己教育力が叫ばれはじまたころ、校内研究の一つの柱に生徒どうしで学び合いっていく「認め合い、励まし合い、高め合う」という生徒像が掲げられました。いろいろ試みましたが、なんだか理想で、きれいごとではないかとも思ったりもしました。しかし、このことは心がけていました。
 それから、何年か経過した頃(年間70時間のころ)デッサンの授業でこんなことがありました。
「描けない。」と言って落ち込んで涙ぐんでいる生徒が出て来たのです。
その生徒は実は授業のスタートから調子がよく、自分の表現に高まりを感じ、たいへん喜んでいましたが、壁にぶつかってしまったので、くやしさのあまり涙が出て来たのでした。
制作過程での相互評価の場面で、となりの席同士でアドバイスをしあっていました。涙ぐんでいる生徒にとなりの席の生徒が、その生徒を励ましているのです「だいじょうぶだって!今まで描いてきたんだから」「私の絵よりずっといいしょ」。
そのうち、同じ班の生徒も絵を見ながら、どこでつまづいているのかを分析しはじめました。
彼は「そうか!」と言って、笑顔になりました。
 あっ!これだな。求めていたものは。そう思いました。これは学級経営の力によることが大きいと思います。その力が。相互評価の場面で生きたのでした。
これがもっとも高まった事例ですが、生徒から非常に素晴らしい体験をさせてもらいました。
具体的には次のようにしています。
★1年生(前半)
 入学してはじめての「相互評価」場面は「レタリング」の授業。
・相互評価を取り入れるのは、レタリングの授業からです。できている、できていないが明確だからです。
ここでのねらいは、相互評価は、自分にとっても相手にとっても有効だと思ってもらうことと、相互評価のスタイルを身につけることです。
・「先生一人でアドバイスは限界があります。どんなに頑張っても一人1分でしょ。
先生がバルタン星人みたいになって分身して全員にアドバイスできたらいいんだけどね。
 でもこれを生徒どうしでやったら、1分どころかもっとできるでしょ。
見ることなら誰でもできるできるし。自分では気がつかな事を発見できることもあるし。」
というように相互評価の有用感を生徒にもってもらうようにします。
あわせてこれまで相互評価で高まってきた具体例も紹介します。
・「先生のアドバイスは、短時間だからくわしくはない、それから見方だってどうしても先生のクセも出てくるかもしれない。そういうことからも生徒同士でのアドバイスは有効なんだよね」
・隣同士作品を交換しあって、どこを直したらもっとよくなるかをアドバイス。
・作品の見方を教えています。これをレタリングのアドバスの時の視点とさせます。
  → 1、離れて見る 2、地(背景)を見る 3、逆さにして見る 
(以後の授業でもこの見方を応用発展させていきます。例えばレタリングで学んだ力が彫刻に生きたりします)
  
・アドバイスがたくさんある場合は、真っ先に直すとしたらどこかを一つ。
(いくら本人のためとはいえ、たくさん言われたら腹がたつし、落ち込むよね)
・アドバイスしたことを直すかどうかは、本人が決める。
(人から言われて直すのはいやですから。自己決定を大事にしたい。)
・アドバイスできない生徒がいたら、具体的に私のアドバイス例を見せます。
・相互評価が終わったあと、また制作を続けますが、授業のあと、アドバイスですごく変わったという喜びの声を取り上げます。いい雰囲気になります。
・相互評価の場面でとなり同士の人間関係からぎこちないところも出て来たりしますが、そんなときは、私が中に入ってアドバイスを進めます。(通訳のような感じでしょうか)
・となり同士ばかりではなく、班内とか4人グループとか、学級の実態に合わせて方法を変える事もあります。
★1年生(その2)
 「彫刻(生きている自分の手をつくる)」で相互評価の質を変えます。
・レタリングと基本は同じですが、ここではじめて出てくるのが作品の「主題性」です。
相互評価も単純にはいきません。
・最初は本物の手と比べての違いを見つけるところからはいります。
→見方の基本はレタリングで教えた3つの視点ですが、
「地(背景)を見る」は、彫刻では、出っ張りではなく、へこんだところ(空間)を見る。
「逆さにしてみる」は、いろいろな方向から見る(立体性)となります。
さらに視点として加えるのは触ってみる(触覚)です。
(なお、この授業ではレタリングで学んだ力が彫刻で生きることを認識させることを大事にしています。学んだ事がつながるようにする教育課程と指導観。)
・制作が進んで来たら、アドバイスの前に、作者の主題を聞いてからということになります。
デフォルメ(地肌の工夫も含めて)のことも出て来ますから、高度になります。
この段階では4人でとか、班でとか、表現の方法を学びあうとい意味合いも出て来ます。
ですから、後半は作品を自由に見て歩くという活動を取り入れます。
・よいアドバイスの例をクラス全員の前で紹介します。生徒の評価活動の質を教師が評価する事で評価活動を高めることがねらいです。
★2年生
 年間35時間。クラスがかわったばかりで相互評価が難しい場面です。しかし、「デッサン」ならば、取り組みやすいのです。
 相互評価が充実してくると、生徒の表現への意欲が高まることで、時間が足りなくなってきます。そこが非常に今難しいと感じているところです。現実的には相互評価の場面は減らしています。
 しかし、1年生のときに相互評価を経験しているので、互いに作品を見て話をすることは抵抗感がなくなっています。1年生での指導が大事だと思っています。
・2年生では「相互評価」で培った雰囲気を発展させ、発想のよさや表現意図に応じた表現方法工夫、関することを学ぶということを願って、(一定時間)作品を見てまわるという時間にしています。
 そしてこれが何より教室内で一人一人の感じ方や考え方の違いを直接感じとることになります。みんな違うからおもしろい。
 (美術はその違いを言葉などではなく一瞬(実はそれだけではありませんが)で感覚的に相手に伝える事ができるからということも生徒に伝えています。)
★3年生
・3年生では、相互評価をほとんどしていません。時間的に少ない事が一番の理由ですが、主題性が強い題材が多いですし、年齢的に難しい面もあります。私が弱腰なのかもしれません。いわゆる無難にというのでしょうか。
 もしかしたら実践研究を強力に進めれば、3年だからこその相互評価ができるかもしれません。反面、実はその必要性を強く感じないということもあります。それは自発的な相互評価の姿が増えてくるからです。
 3年生では2年生でやっている「作品を見てまわる」という時間としています。これは大事にしています。
 1、2年生でよい雰囲気が出来てくると、お互いの表現について、あれこれ自然にアドバイスする姿も見えます。
 休み時間、生徒同士で作品を囲んであーだ、こーだと言っている姿を見るともうとてもうれしくなります。そしてこの姿こそもっとも私が理想とする姿です。
 自己評価表に「○○さんに感謝」とか「ありがとう」とかとう言葉を見かけることもあります。もっとも、こんなことは直接相手に伝えるのが一番ですけれども。

                  2004年9月4日 山崎 正明