3年生「 抽象絵画 」

はじめに

 大人になって「抽象はわからないねえ」「美術は難しいなあ」なんてなったら、もったいない。そんな思いもあって3年生(あるいは2年生後半)で抽象絵画に取り組んでいます。


授業の実際


「これから意味を持たない絵を描きます。でもねえ、真剣にやっているとその人の個性がにじみ出てくるんだなあ。」そんな投げかけからはじまります。
 「すごく美しい作品をつくってみよう。この小さな紙に。でもまったく自由でも困ると思うので美術でとっても大事にされている「動き」ってことを課題にします。」

 絵画制作の中では重要な「動動感」それから「構図」そういったことを大事にしていきます。ですが、制作過程の作品鑑賞はあえて「具象絵画」を見せています。そうすることで、本質に迫りたいからです。

 発想の仕方も意識させます。アイディアというのは生まれてくるのではなくて、生み出していくという考え方です。脳をどう使うか。ですから、「発想」から「構想」へということをかなり意識して絵をつくりあげていくようにしています。(ここでは発想を「広げる」、構想を「深める」と言い換えたりしています。これは美術の学習を通して頭の使い方を指導しているということです。)
 作品を完成させる為には主体的な意思が必要になってきます。そこにも学びの価値があります。「選び,決める」連続です。
 で、導入では、これまで以下のようなプリントを用意していましたが、今回はすべてプレゼンテーションソフト(keynote)を使って授業を行いました。画家の言葉がきわめて大事なのですが、今回はそれを読まずに私の言葉で説明してみました。その方がわかりやすいですから。プリントを使う方法とは違い、多数の作品を見せることもできます。鑑賞もいま対話型を中心にやっていますが、このような鑑賞の形態もありだと思っています。
 芸術家自らの言葉を聞く。これも大事にしたい。
 なお、このプレゼン方式では、あらかじめ用意していた写真を順番に見せて行くのでややもすると硬さがつきまといますので、「美術資料集(副読本)」も併用します。話が脇にそれたときもとっても便利です。また必要があれば生徒はいつでもその作品を見ることが出来ます。

 プレゼンが終わり、20分程さっそくアイディアを描きだしました。生徒は思ったよりすんなりとアイディアを描いています。A4の紙に15のアイディアを描けるようにしています。最初は円や三角、四角ですから、これでいいのかなあと思っている生徒が多いのですが、今回は「はまった」「おもしろい」との声も出てきました。最初からこのパターンは珍しいです。
 おそらく、プリントを使用した授業からプレゼンテーション方式に変えたことによるものと思います。そして私も新たな気持ちでやっていますから、私から出ている雰囲気もよいのかもしれません。(慣れてしまってはだめです。ベテランという言葉は気をつけないと)

 この授業では最初はまったく描かないこういった生徒も出てくることもあります。しばらくは見守ることにしています。理由はいろいろあります。教師としても勉強になります。見て描く授業ではないですから、自分で意思を持たないと描けません。しかし、これまで最後まで描かないという生徒はいませんでした。
 こういった生徒とのやりとりは非常に勉強になります。


作品が完成したあと


 鉛筆による抽象絵画の最後の授業は絵の額装と学習の振り返りの時間としました。さて、授業の最初に額縁を見せたところ、反応がよかったです。台紙の色も白と黒(本来なら灰色も)を準備しました。



まず、台紙を選ぶ段階でけっこう迷います。実際に絵を置いてみると作品が違って見えますから。そこで、作品に手を加えだす生徒が続出。さらに額縁です。これも悩む子はかなり悩みます。相談を受けたたりもしたので私は額縁屋さんの店員を演じ、楽しみました。「そうですね、お客様の場合、かなり迷われていますので、消去法というやり方で決めていきましょうか。いかがです?」というような感じです。



 それからラベル。
これは白い紙を渡して「題名」「氏名」「授業を通して感じた事・考えた事・発見した事・身に付いた事等の感想を書いてください」「作品の解説を書きたい人はどうぞ」で、台紙を渡す時二つのことを言いました。一つは、題名ですが、適当なおもしろそうな題名でもいいし、自分がねらっていたことがあったらそれを題名にしてもいいし。   もちろん今回の抽象の授業は何かのテーマを表現しようとしてやっているわけではないから、無題でもかまわないと話しました。(実際に画家は題名を重視する人、そうでない人がいることを説明しました)。
 もう一つは、ラベルも作品だと思ってかくようにいいました。(ここで教科書や書籍の表紙を見せてレイアウトについて補足。)

実は、自分の作品を額縁に入れる体験を生徒にさせたかったし、描いた作品を自宅に飾ってほしいとも思っていました。
これまでも他の先生が額縁を段ボール等を使って自作させていたのは知っていましたが、でいきたら本物と思っていました。しかし、教材費の関係でそれが難しく、100円ショップもよく訪ねていたのですが…。しかし、最近になってダイソーという100円ショップにガラスの額(B5サイズ)が売られていたのです。まとめ買いでは色を選べませんでしたが、結果として6色の中から選んでもらうということがかえってよかったようです。(その代わり多めに注文しました)

 さて額縁の話ばかりになりましたが、もう一つ大事な事があります。それは授業の振りかえりです。制作を終えて感想(自己評価)を書いてもらうのですが、私はこれを非常に大事にしています。生徒に書いてもらった内容を読む事で、(授業の中だけではとらえきれない)作品の中にこめた思いが見えたりもします。
また生徒自身は学びを振り返りそこに価値を再発見することがすくなからず、あります。ずっと昔は「うまくいったところ、うまくいかなかったところ」などと書かせたこともありますが…。そんな観点の感想では、かえって作品を表面だけ、結果だけで見てしまう感覚を植え付けることになてしまうような気がします。
生徒の心に触れたいのです。今回もありました。「そうかあ、こんな思いで描いていたのかあ」「なるほどなあ」とか。
 なお、今回はその感想を生徒同士が見られるようにしたいと思い、ラベルに書いてもらったのです。ただ、ラベルに書くと字数が少なくなるので、もの足りなさが残りました。
  今回できあがて額に入った作品を笑顔で手渡してくれる姿、たくさん、ありました。授業中浮かない顔をして描いているように見えた生徒が、「先生、この授業すごくおもしろかった」と一言添えてくれました。
 出来あがった作品を手で受け取るってやはり大事だなと思いました。
 子どもの作品を手で受けとめるということの大切さを教えてくれたのは寺内定夫さんでした。
 校内展示をするにあたって、生徒の感想をラベルに書いてもらいます。他の先生に見てほしいという意味もあります。作品の出来映えのだけではなく、その作品が生まれて来た中にある子どもの思いや、美術教育の価値についても知ってほしいと思っています。

生徒の姿


  これは作品をつくる過程に使うワークシートです。左はこの生徒が一枚目にかいたものです。この時は「動き」を表すことが最大の課題で、とにかくアイディアを広げようということで指導します。 
「この段階で美しい形ということは考えなくてよい、全部違う人が描いたのではないかと思われるようなつもりで」
この段階ではこのワークシートを何枚も描く生徒が多いです。左下は3枚目です。

右下は、これまで広げてきた(発想)アイディアをもとに、アイディアを深める(構想)段階です。
 今まで描いてきたものの中からお気に入りをもとに描いてもよいし、気に入ったものをいくつか組み合わせてみることを提案します。
 この段階では「構図」を工夫するようにさせますが、参考作品は具象画です。「統一と変化」ということも関連させます。








プレゼン資料

 プレゼンテーションソフトはappleの「KeyNote」を使いました。
テンプレートもセンスがよいし、使いやすいのが何よりです。基本的にはトランジションはあまり使っていません。ポイントで使うだけです。あまり効果を使うと主役がぼけますので。





 文字の多いプレゼンが面になってしまうけれども…ピカソのこの言葉はとてもわかりやすいと思います。この画面ではなく、実際の美しい自然の写真を見せながら文字なしがいいかもしれません。






 カンディスンキーのこの言葉の背景は彼の作品に手を加えたもの。
実はカンディンスキーのこのお話、私が教室で演技したこともありました。うーん、そちらの方がよいかも…。

 このプレゼンをする前は下の印刷物を使っていました。

2006年7月 山崎正明



存抽象絵画〜美術家のことば

 抽象絵画の授業で資料として使う画家の言葉です。この言葉はそのまま話しても理解が難しい面もあるので、教師の方でわかりやすく説明します。

ブラック

 芸術には価値あるものは一つしかない。説明できないものがそれだ。
*「日本の美術館で見られる近代名画の鑑賞入門」主婦と生活社

ブランクーシ

 あなたが魚を眺めるとき、あなたはそのウロコに注意はしない。そうではないでしょうか。あなたは水面下のその動き、その遊泳、その肉体のきらめきを考える…そうです。私が表現したいと思うのはこれなのです。もし私がそのヒレ、目玉、ウロコを再現するとすれば、私は動きを殺してしまい、現実のパターン、あるいはその外観を得たことにしかなりません。私がとらえたいのはその精神のきらめきなのです。
*「モダン・マスターズ・シリーズ コンスタンチン・ブランクーシ」エリック・シェインズ著 中原祐介・水沢勉訳 発行:美術出版社1991

カンディンスキー

 スケッチから物思いにふけりながら帰ってきて、アトリエのドアを開けた途端、わたしは突然、いうにいわれぬ、光り輝くような美しい一枚の絵を目の前に見た。わたしはうろたえて足をとめ、それを凝視した。その絵はまったく主題を欠いており、なにかわけのわからぬ対象を描いていて、全体が明るい色調の斑点でできていた。やがてもっと近寄ってみて、ようやくその絵が何であるかがわかった。…画架に横倒しに立ててあるわたし自身の絵だったのだ。…ひとつのことがわたしには明瞭になった。…つまり客観とか対象の描写というものは、わたしの絵には必用ではない。実際害になるばかりであった。
*嶋田厚「デザインの哲学」講談社学術文庫p113
 

ピカソ

 誰もが芸術を理解したがる。それなら、なぜ鳥の歌を理解しようとしないのか。なぜ人は夜とか花とか、まわりのものすべてを理解しようとしないで愛するのか。ところが絵画となると、人々は理解しなければならないらしい。