「美術」って何だろう?

 教材研究をするにあたり、いろいろな本を読んできた。その中で、画家や彫刻家デザイナー、工芸家たちの様々な言葉に触れてきた。
「なるほど!」と感銘を受けたものが多い。あるいは対立する考えもある。
 これが、美術教育を考えるヒントにもなっている。
「美術」って何だろう?素朴な問いに様々な答えが見えてくる。本質に触れたい。
 授業で生徒に、作家の言葉を紹介することも多い。例えば、
★「抽象絵画」の授業では、ピカソやカンディンスキー、クレー、ブランクーシなどの言葉を紹介している。

抽象絵画の授業LinkIcon

ピカソ
「誰もが芸術を理解したがる。それなら、なぜ鳥の歌を理解しようとしないのか。なぜ人は夜とか花とか、まわりのものすべてを理解しようとしないで愛するのか。ところが絵画となると、人々は理解しなければならないらしい。」

クレー
「芸術の仕事は、目に見えるものを、そっくりにかくことじゃなく て、目に見えないものに、形をあたえることなんだ。」

★3年生の「自分の存在証明」という卒業制作の前の鑑賞の授業でワイエスの言葉は、欠かせない。「1946年の冬」についてのワイエス自身の作品解説。作品と共に紹介している。教室が静まり返る。
  
★1年生「自然から学ぶ」の授業では、生徒に価値あることに取り組むということを、わかってほしくて、次の言葉を紹介している。

ベン=シャーン
「わたしは、ローマ字のひとつひとつに優美さときびしい威厳を発見したAという字ひとつについても、その研究に数ヵ月もかかった。」

ムーア
「人体はわたしにもっとも深い関心をもっているが、小石、岩、骨、樹、植物などの自然のオブジェからフォルムとリズムの原則を発見した。」

 生徒の作品を掲示するときに、作品と共に様々な言葉を紹介することもある。先生方や親、あるいはお客さんにも読んでほしいという意図もある。
 ある先生が、生徒の作品を見て、画家の言葉を読んで「美術って奥深いね。感動しました!」とわざわざ言いにきてくれた事もあった。うれしい!
 子どもにも先生にも親にも美術の時間は、単に、作品づくりをしているわけではない、ということを理解してほしいと思っている。
 
上に紹介させていただきました「言葉」は「Download資料」から、ダウンロードできます。
 「こんな言葉があったよ!」というものがあったら、出典も明記した上で、メールにて教えてください。共同作業とすれば、優れた資料になっていくと思います。一人の力は小さいですが、連携すれば大きなものになるはずです。

                   2004年1月 山崎 正明

アンドリュー=ワイエス
「1946年の冬」について

 私の人生におけるほんとうの転機、つまり感情に関すること、感動的なことが最も重要だと心底感じたのは、1945年の父の死がきっかけだと思います。父は踏切で車ごと汽車にはねられて死んだのです。
 言うまでもなく、父は私のただひとりの先生でしたし、非凡な人間でした父が死んだころ、私はただの器用な水彩画家のひとりにすぎませんでしたーやたらにさっさと筆を走らせてー。
 しかし、父が死んだ時、その時こそ私は満を持し、それまでに父が私の中に芽ばえさせてくれたものが無駄ではなかったということを、何が何でも証明してみせようという気持ちになっていました。
 それは自然を戯画化しながらことを軽々しくあつかうのではなく、本当に真剣なことをしよう、ということだったのです。
 その後、私が描いた最初の絵は『1946年の冬』という題がついています。ひとりの少年が、強い冬の陽光をうけてほとんど丘を駆け落ちるようにして走っている絵です。片手を広く泳がせながら。そして黒い影が少年の後を追って駆けている。ところどころに残雪があって。あらゆるものとのつながりが断たれてしまったという私の気持ち。空にただようあの片手は私の魂でした。何かをつかもうとまさぐっている。その丘の反対側の彼方には、父が殺された場所がありました。
 とうとう、その丘そのものが父の肖像になってしまったのです。
  
  

昭和62年度用教科書「少年の美術3」
現代美術社